上田ユキエブログキャプチャ

日本のガールズボーダーのパイオニア 上田ユキエが20日更新した自身のブログ「プロスノーボーダーママ!in LA 」にて、「スノーボーダー上田ユキエの話。挫折は力になる!」を投稿した。

そこにはオリンピックを目指した当時の心境を告白した内容となっていた。
スノーボードを始めて3年、上田が24歳だった時にスノーボード競技がオリンピックの新種目に決定した。当時はスキー連盟とスノーボード連盟の派閥争いによる確執で、プロ登録しているスノーボーダーはオリンピックへの出場がタブーとなっていたし、また出ることに批判を浴びる空気にさえなっていたという。

それは当時ハーフパイプの絶対王者で、金メダルの有力候補だったテリエ・ハーコンセンが、スノーボード競技がスキー連盟配下に置かれることに反発してオリンピックをボイコットした事でさらなる波紋が広がっていた。

そんな中でも上田は「目指させるものなら目指したいに決まってる!誰にどう言われようが、私の人生だ。やっちゃおう。」と、決意したそうだ。

それからは自分の貯金をはたいてワールドカップを転戦。「子供の頃に貯めた大切なお金を、将来の自分が使う。このお金を使うことによって、すごいパワーがついてくる!」と、背中を押される気持ちで頑張れたようだ。

しかしながらオリンピック出場が目の前まで迫った最後に、一緒にワールドカップを転戦していた盟友のユリッペこと「吉川由里」が優勝し、オリンピック出場への切符を逃してしまう。

当時シンデレラガールとしてマスコミに取り上げられまくっていた吉川は一躍時の人となっていたのを覚えている人も多いだろう。

上田はショックを受けながらも日本に帰国し、車で迎えに来てくれた姉がこう声をかけてくれたという。

「とんとん拍子でやってこれたユキにとって、今回の挫折は絶対に今後のユキのためになるよ。」

さすがにこれにはどこかで強がっていた上田の糸も切れたのだろう、一気に涙が溢れて来たそうだ。

そこからプロスノーボーダーとしての人生が始まり「『この挫折があったから、私はもっと強くなれる!』そう思えて、ずっと頑張ってこれた。」と、そこにはメンタル面でも成長した上田の姿があった。

上田ユキエといえば、チーム「LIL'(リル)」を結成してガールズボーダーのDVDを世に送り出したり、ガールズブランドを立ち上げたりするなど、日本のガールズスノーボードシーンを常にリードしてきたパイオニア的な存在だ。今のガールズシーンがあるのは彼女の活動があったからこそだといっても過言ではない。

トップを走り続けて来たその背景には、オリンピックへの挫折と、姉からかけられた言葉が糧となっていたようだ。

「人からもらう言葉の重み。本当に大切だと思う。」と、ブログを最後に締めている。

もしかしたらあの時オリンピックに出場していたら、ただの「元オリンピック選手」という肩書きで終わってしまい、それよりももっと大きな爪痕を日本のスノーボードシーンにこうして残していなかったかもしれない。

そこには何か宿命的なものが交差していたに違いない。

【関連リンク】
○スノーボーダー上田ユキエの話。挫折は力になる!| 上田ユキエ公式ブログ
http://ameblo.jp/yukie-ueda/entry-11955074454.html