■発見から100年 定説の山大教授覆す

蔵王連峰の冬の風物詩、樹氷が発見されて今年で100年。蔵王で氷と雪で覆われて巨大化した樹木のことを、「樹氷」と呼ぶようになったのは、大正時代の東北帝国大(現・東北大、仙台市)の学生らだったことが山形大の調査で分かった。
当時、「樹氷」は別の意味の気象用語として使われていたが、学生らが誤解して用いたことがきっかけで、広く知れ渡ることになったという。

調査したのは、山形大理学部の柳沢文孝教授(地球化学)。「樹氷」という呼び方は、大正11(1922)〜12年に、東北帝大や旧制第二高(仙台市)の学生らが使い始めたという。昭和4年に発行された鉄道省(当時)の冊子「スキーへ」などから分かった。これまでは同年、旧制山形高校(現・山形大)の教授が、樹氷と名付けたというのが定説だった。

蔵王の樹氷は、大正3年2月15日、山形師範学校(現・山形大地域教育文化学部)の教諭らが、冬季の蔵王山地蔵岳に初登頂した際に発見した。当時は「雪の坊」と呼ばれていたという。今では、樹木全体が氷と雪で覆われていることから「アイスモンスター」の名称でも知られる。

実は「樹氷」は、別の意味の気象用語だった。公式にこの言葉が使われたのは、明治11(1878)年の気象観測報告が最初という。その5年前に欧州のウィーンで開かれた万国気象会議では、風で運ばれた水滴が枝葉にぶつかって凍結し、風上に向かって氷が伸びる「エビのしっぽ」のような形について、英語で「Silver Thaw(銀の溶解)」と表現していた。これが、日本では「樹氷」と訳された。

この現象は、北海道や屋久島など世界中でも観測されている。蔵王のように樹木全体が氷と雪で覆われるアイスモンスターとは異なるが、柳沢教授によると、蔵王連峰の宮城県側のスキー場で合宿をした東北帝大の学生らが、樹木全体が「エビのしっぽ」で覆われたものと誤解したという。

また、樹氷が全国的に有名になるのは、ドイツの山岳映画の第一人者、アーノルド・ファンク監督(1889〜1974年)が昭和11年に同地を撮影に訪れてからとされていた。しかし、柳沢教授の調査で、監督は山形に来ていないことも判明。撮影したのは、監督に同行して来日していたドイツ人スタッフや、映画「ゴジラ」やテレビシリーズ「ウルトラマン」で知られる特撮監督の円谷英二氏(1901〜70年)らだったという。

柳沢教授の調査結果の一部は、21日から始まる「やまがた樹氷国体」のパンフレットで紹介される。
(産経新聞)