銀メダルにキスする竹内智香スノーボード女子のパラレル大回転で竹内智香(30=広島ガス)が、4度目の五輪出場で銀メダルに輝いた。スノーボードでは日本女子初の快挙となった。

雪上では攻撃的なスタイルが目立つ竹内だが、素顔はまったく別だ。
北海道・旭岳温泉で旅館を経営する父の隆治さん(62)は「ひたむきに努力する子。アメリカのアウトレットでシャツを買ってきてくれたこともあります」と娘をたたえた。芯は強く、我慢強いという。母・裕子さん(59)は「スイスに行っての5年間は誰にも言えないような苦労をしてきた」と涙を流した。

一方、おじの泊(とまり)賢吾さん(55)によれば「周りの人への気配りがすごい。料理もうまいんだけど、片付けもうまいんですよ。みんな家族で食べてる途中に空いた皿をパッパ、パッパと片付けて、残ったらまとめて、食事が終わるころには洗い物ないんですよ。感心しましたよね」

合宿などで鍛えた料理の腕前も一級品で何でも作れるという。地元北海道に帰宅した時は、ロードバイクなどアウトドアを楽しむ。

所属は広島市の広島ガスで、“第2の故郷”への愛着も強い。県の「ひろしま観光大使」も務めている。好物はもちろんお好み焼きだ。
(東スポweb)


旅館のお嬢様・竹内、父と歩んだ五輪への道

初の五輪となった02年のソルトレークシティーから4大会。ついに実を結んだ挑戦の陰にある苦労と生い立ちに迫った。

竹内は、幼い頃からサッカーや一輪車に乗る活発な女の子だった。幼稚園の頃は木登りに夢中の3人目で生まれた女の子。母・裕子さん(59)は、「スカートをはかせたかったが、ほとんどはかなかった」という。実家は北海道・上川郡で皇族も宿泊した「湧駒(ゆこまん)荘」を経営している。「忙しいときは仲居もしたし布団ひきもやった」と母は振り返る。

スノーボードとの出会いは14歳の時の98年長野五輪。テレビ中継を見て板を欲しがった。だが父・隆治さん(62)は「汚い格好をしているというイメージがある」と大反対。諦めさせるために売り場に連れて行ったが、逆にカラフルないでたちに魅せられた。「娘にはダメと言ったのに自分で買ってきた」。父親の心変わりで道が開けた。

中学時代はまだスキー以外は滑走を禁じるゲレンデもある中で夜のスキー場で腕を磨いた。多くの草大会にも出場し、スノーボード部がある上川高への進学を決めた。02年に18歳でソルトレーク五輪に出場。乗馬をしていた隆治さんは代表選考会に出場するほどだったが五輪を断念。その悔しさを知る娘は、「お父さんを五輪に連れて行きたい。」という夢をかなえた。だが結果は22位と惨敗。それがメダルにこだわる原点になった。

全日本スキー連盟からの補助は限られる中、スポンサー企業探しにも苦労した。PR用に用意したのはA4サイズの小冊子。W杯や世界選手権など1戦ごとに感想をつづり、写真や新聞、雑誌の切り抜きも載せた。最初に作成した04年は20部だったが、600部以上に拡大した。スポンサー獲得のためリクルート・シートも作成。金策に苦心し続けた。

4年前のバンクーバーでハーフパイプ代表の国母和宏(25)が、出国時の服装を問題視され社会問題に発展。当時企業に協力を訴えていた竹内は「スノーボードの選手のイメージが悪い」という理由で面接した企業10社以上に断られた苦い思いを味わった。

母・裕子さんは忘れられない瞬間がある。昨年3月、初めて一人娘が拠点とするスイスに行った。買い物に行く車内で、突然、娘が泣き出した。「よっぽど人には言えないつらいことがいっぱいあったのだと思う。2人で泣きました」。それから1年、あの日の涙は、銀色のうれし涙に変わった。
(スポーツ報知 )


竹内選手銀メダル「本当にうれしい」=湯崎広島知事
竹内選手を県の観光大使に任命している広島県の湯崎英彦知事は20日、「メダルをもぎ取ったというのは本当にうれしい。(決勝で)転倒したのは仕方ない。本当に銀メダルを喜びたい」と祝意を表した。 

知事は、2011年に県内でスノーボード大会が開催された際に竹内選手から贈られたというボードを手に取材に応じ、県体育・スポーツ知事表彰する意向を表明した。「広島県は自然雪のスキー場がたくさんある南限。ぜひこれを機に、皆さん雪山に出掛けて行って、スノーボードやスキーを楽しんでいただければ」と話した。
(時事通信)