スノーボード男子ハーフパイプで、15歳の平野歩夢選手(バートン)が銀メダル、18歳の平岡卓選手(フッド)が銅メダルを獲得した。スノーボード種目で日本初のメダリストが同時に2人誕生するという快挙の陰には、東根市出身の治部(じぶ)忠重コーチ(42)=クルーズ、日大山形高出=の存在があった。コーチとして3度目の五輪出場。「ようやく念願がかなった」と喜びをかみしめた。

前回バンクーバー大会では男子選手の服装や発言が問題視され、「指導不足だった」と責任を背負った。その場限りの指導にとどめず、五輪選手はいかにあるべきかを根気強く選手に言って聞かせた。
これまでの選手もメダルを有望視されていたが、届かなかった。「世界で勝てる力はある。いかにメダルを取るかではなく、いかに選手の持てる力を出させるか」と発想を転換した。選手の持ち味は何か、どんなスタイルを表現したがっているのか―。話し合いを重ね、少しずつ修正。それぞれの特長を前面に出した演技を練り上げ、高いモチベーションにつなげた。

結果は表れた。小国町横根スキー場で技を磨いた平野選手は決勝でただ一人、2回とも90点を超え、抜群の勝負強さを見せた。1回目で9位に沈んだ平岡選手は2回目で完璧な演技を披露。難度の高い技を決めつつ横回転の完成度の高さを世界に示し「自分のスタイルを出せて良かった」と胸を張った。

メダル獲得という悲願を達成し「次のステージへの扉を開けることができた」と治部コーチ。道具のメンテナンス、食事の世話もする。海外でも日本と同様の環境を整えるため、炊飯器を持ち込みご飯を食べさせるなどチーム一体となった支援態勢が結実した。「4年後、さらに8年後に若い世代が活躍できるよう競技環境を一層整えたい」と決意した。

治部コーチは日大山形高でラグビー部に所属。高2で留学したカナダでスノーボードと出合い、札幌大に進学して本格的に競技に取り組んだ。腕を磨こうと、3年時にバンクーバーに留学。現役を退いた後、スノーボードメーカーに就職。中国・黒竜江省チームのコーチを経て、2006年のトリノ五輪で日本代表コーチに選ばれた。
(山形新聞)