原発事故後の客数減少と向き合う会津のスキー場を取材しました。福島・会津地方のスキー場は、原発事故の前と同じレベルの放射線量でありながら、来場者数が大きく落ち込み、2012年はETC(自動料金収受システム)の無料措置によって、首都圏の客を確保できましたが、2013年は、まさに正念場といわれています。

地元にとって大きな雇用の場でもある、スキー場の現場を取材しました。

原発事故が起きて、客足が大きく減少した、福島県会津地方のスキー場。
今も続く誤解の中で、ひたむきに生きる人々の思いとは。
最大滑走距離3,000メートル、29のコースを持つ、アルツ磐梯(ばんだい)。
広大なゲレンデの安全を守るパトロール15人のリーダーが、手代木 伸之さん(36)。
朝一番、パトロールのメンバーは、コースのトップへ上がり、必ずリフトの運転開始前に、ゲレンデの安全を確認する。

前日までの記録的大雪で、完全に埋もれた転落防止のネット。
さっそく、張り直しにかかる。
手代木さんは、「2日間で1メートル50〜60cmは積もっているんじゃないですかね。落ちたら、たぶんこんな(腰まで埋まる状態)になっちゃうんで、たぶん出れないと思いますよ、普通の人は」と話した。

原発事故前のシーズン、アルツ磐梯には、首都圏のボーダーやスキーヤーを中心に、24万人が訪れていた。
それが昨シーズンは、13万5,000人と大きく減少した。

最大の要因は、放射線量の誤解とみられている。
手代木さんは、「0.01(μSv/h)ですね。ずっと、こんな感じですね。(原発事故前は『0.04〜0.05μSv/h』前後)」と話した。
同じ会津地方にある箕輪スキー場。

ここでの放射線量は、0.041μSv/hだった。(原発事故前は『0.04〜0.05μSv/h』前後)
そして2月、モーグルのワールドカップを開催予定のリステルスキーファンタジアでは、0.027μSv/hだった。(原発事故前は『0.04〜0.05μSv/h』前後)

放射線量は、原発事故前と同じレベルという事実。

リステルでは、福島の中で比較的高い放射線量の地域から、積極的に子どもの団体を受け入れて、活気を取り戻していた。
リステルスキーファンタジアの服部 界さんは、「当初はもうスキー場、無理なんじゃないかと。開けても、お客さん来ないんじゃないかなと思っていたんですけど、県内の方が非常に多く見られて、今まではどうしても関東圏の方にばかり、目が向いていたんですけど、そこが少し今までと、自分たちの意識としては変わったところかなと」と話した。

一方、会津地方にとって、スキー場は雇用の場として重要な存在となっている。
アルツ磐梯で働くおよそ360人のスタッフのうち、7割が地元・福島の住民だという。
ゲレンデ前にあるホテルのフロント係・角田莉奈さん(20)は、会津若松市の出身で、原発事故により、採用が延期され、2012年、正式採用された。

2年前は、将来への不安に駆られていたという。
角田さんは、「ちょっと行きたくない、足を踏み入れたくないと周りから思われているのは、すごく切ないというか、悲しいです」と話した。

客足が回復の兆しを見せている今シーズン。
角田さんは、ホテルの仕事にひたむきに打ち込んでいる。
角田さんは、「意外とコミュニケーション、お客様とのコミュニケーションが好きなんだなって実感していますし。楽しいです」と話した。

一方、山頂で待機していた手代木さんに、けが人発生の通報が入った。
会津で生まれ育った手代木さんは、福島を代表するアルペン選手として、最近まで活躍していた。
足首の痛みを訴える男性客について、手代木さんは検査の必要があると判断した。

手代木さんは、「ちょっと腫れているので、きょうはたぶんもう滑れないですね。いったん、できれば(病院に)行ってもらって、レントゲン検査(エックス線検査)をしてもらって」と話した。

歩行が困難になった男性客を、手代木さんはゲレンデの下まで、スノーモービルで送り届けた。
その後、最後の客が滑り降りるのを確認して、パトロール隊の1日は終わった。

会津若松市に家族3人で暮らす手代木さん。
保育園に預けていた琉依君(2)を迎えに行き、そして妻・裕子さんが働くカフェに寄るのが日課となっている。
夫婦の出会いは、あのアルツ磐梯スキー場で、2013年4月には、2番目の子どもが誕生する予定だという。

裕子さんは、「不安はあります。やっぱり、これからおっきくなるにつれて、福島県っていうだけで、差別とかも考えますし。そういうのは気になりますけど、今頑張って、先を明るく過ごしたいと思います」と話した。
会津で生きる覚悟を決めた手代木さん一家。

スキー場への誤解が解ける日を待ち望んでいる。
(FNN)