8月20日、ロンドン五輪のメダリスト71人が銀座でパレードを行なった。オリンピック後に実施するのは初めてのことだ。

このパレードに集まった人々は、50万人に上ったという。コースとなったのは、中央通りの銀座通り口交差点から銀座八丁目までの約1kmの道のり。中央通り沿いは人々で埋め尽くされ、通りまでたどり着けない人たちが選手の乗ったオープンバスが見えないような遠方まであふれかえった光景は、壮観ですらあった。

過去のパレードでは、2009年に巨人が日本一を祝して行なった際に34万人、昨年、ソフトバンクが福岡で行なったときは33万人というのが目立つ数字だから、今回のパレードがどれだけ盛大であったかはそこからも分かる。

連日のメダル獲得に沸いたロンドン五輪の余韻が残る一方で、こんなニュースも報じられている。

競泳の平泳ぎ200mで銅メダルを獲得した立石諒は来春、大学を卒業予定だが、その後も競技を続行するかどうかは、スポンサーを見つけられるかどうか次第だと明かしているというのだ。
■メダリストであっても、支援先探しに苦労するケースはしばしば。

競泳で言えば、バタフライ200mで北京、ロンドンと2大会連続で銅メダルを獲得し、ロンドンでは競泳チームの主将を務めた松田丈志も、以前、競技活動の継続に苦しんだことがあった。

2009年末、スポンサーとなっていた企業から、経営悪化で契約を打ち切られ、それに代わる支援先がみつからなかったのだ。そのため、海外合宿に参加できないなど、競技を続行できるかどうかの瀬戸際に追い込まれた。数百の手紙を送っても名乗りを上げる企業は現れず、ようやく2010年になって、支援が得られた。これは松田が北京五輪でメダルを獲ったあとの話である。メダリストとなっても、こうした不安定な状況に陥った。

そしてそれは、松田あるいは立石にかぎった話ではない。社員として採用してくれる企業、あるいはスポンサー、どちらの形であれ、支援先を見出せず、親を含め親族の金銭面の支援を受けてようやく競技を続けられるケースも少なくない。

■競技環境に左右されて、引退せざるを得ないことも。

この状況を自力で打開しようとする選手もいる。

例えば、ロンドン五輪のオープンウォータースイミング代表だった平井康翔。彼は日本代表として出場する国際大会でも自費で参加せざるを得ないこともあったこれまでの事情を明らかにし、応援グッズを制作して販売することで、活動費を捻出しようと試みている。むろん、仕事を持ちながら競技に取り組む選手もいる。

しかし、好成績を残そうと思えば、いきおい、競技に専念する、ないしは専念に近い形を求めざるを得ない。支援してもらえるところが見つからなければそれは望めないし、ましてや、松田の状況を考えてみても、自力で環境を整えるのは、容易であるわけはない。だから、アスリートとしてのピークうんぬんやモチベーションの有無ではなく、競技環境に左右されて、引退せざるを得ないことだってある。

■就職支援システム「アスナビ」の成功例もまだ少数にとどまり……。

なかなか向上しない競技環境に、日本オリンピック委員会(JOC)も、アスリートと企業を仲介する就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」を2010年にスタート。これまでに、競泳の上田春佳とカヌー・スラロームの竹下百合子がキッコーマン、近代五種の黒須成美が東海東京証券、スノーボードの家根谷依里が大林組など、10名に近い採用実績は残してきている。ただ、アスナビを利用してサポートを求めているアスリートは、それよりもはるかに多い。支援先を見つけられた選手は少数にとどまる。

史上最多の38個というメダルを獲得し、日本中を盛り上げ、大会が終わって今なお注目を集め続けるメダリストたち。

しかし、今日の状況が変わらなければ、メダリストとは言え、不安なく競技に打ち込み続けられるとはかぎらない。メダリストでなければなおさらそうだし、オリンピックの競技の中でも、注目の度合いに応じての違いもある。また、夏の競技よりも、冬の競技の方が、総じて競技環境面で苦しいという事実もある。

余韻が覚めない今だからこそ、次の4年へ向けて、あるいは2年後のソチ冬季五輪へ向けて、あらためて国家予算も含め、スポーツへの支援のあり方は考えられるべきではないか。

4年に一度のオリンピックでの活躍は、大会までの時間にかかっているのだから。
(Number Web)