死亡した磯川さん、武田さんは県の防災ヘリで引き上げられ、病院に運ばれた(11月30日午前10時5分、立山町の国見岳周辺で)=立山黒部貫光提供山を人一倍愛する

■沈黙■

2日午前10時頃、磯川さんが眠る病院内の集中治療室(ICU)の前では、磯川さんの家族や会社の同僚たち約10人が立ちつくしていた。約30分前、窒息による低酸素脳症で磯川さんの死亡が確認されたばかり。だれも言葉を交わすことはなかった。

■熟練者■

東京出身ながら山の魅力にとりつかれた磯川さんは、長野県でアウトドア用品店に勤める傍ら、山岳ガイドとして活躍していた。とりわけ山スキーに熱心で、横浜市に本社がある同用品販売会社に入った2005年の時点で、「すでにスキーの熟練者だった」(会社役員)。山スキーが好きな同僚たちと、立山を毎年のように訪れていたという。
山岳ガイド研修会の講師や、山岳遭難の救助隊員としても活躍。冒険教育や自然体験学習を行う「日本アウトワード・バウンド協会」長野校では、ロッククライミングの講師もしていた。

同校副校長の梶谷耕一さん(49)は、「山と出会って自分の夢が広がったことを、若い人に伝えたいという熱い思いを持った人だった」と語った。

雪中の救出30日の室堂平周辺は、上空が深い青に染まる快晴だった。スキーの磯川さんを先頭に、スノーボードの武田さんらが縦列で国見岳の斜面を歩いていた午前8時55分頃、「ドォーという低い音が近づき、6人を巻き込んだ」(近くにいたスキーヤー)という。

現場から数百メートル離れた立山有料道路で除雪作業をしていた古栃建設(滑川市上小泉)常務、畠山賢一さん(52)は、雪煙が上がるのを目撃した。息子の一徹さん(28)と道路を進むと、雪崩でケガをした2人が座り込んでいた。「まだ上に4人いるから助けてほしい」

現場では、近くにいたスキーヤー3人と協力し、発信音で遭難位置を知らせる「ビーコン」を頼りに、約2メートルの深さで、斜面に真横を向く態勢で埋まっていた磯川さんを掘り出した。

磯川さんは「意識もないし、息もない」(畠山さん)状態。ほかの人たちがすぐさま人工呼吸や心臓マッサージを始め、その後、武田さんも雪の中から引き出された。

雪崩・2人目の死亡 一時蘇生も願い届かず■つないだ希望■

「(磯川さんに)心臓マッサージをしているのが上からも確認できた」。9時50分頃、県消防防災ヘリで現場に急行した県防災航空センターの隊員が振り返る。

磯川さんを引き上げた後、田中嵐洋さん(28)(横浜市南区中島町)=あばら骨骨折=、武田さんの順で3人を収容。病院に到着するまで「(田中さんに)当時の状況を聞く余裕は全くなかった」という。磯川さん、武田さんに対する懸命の蘇生処置が続いた。

病院到着後、救命のバトンは救急スタッフに手渡された。一時は止まった磯川さんの心臓が、再び脈を打ち始めた。「危険な状態に変わりはないが、蘇生に成功した」。病院職員は報道陣に対し、安堵(あんど)した様子で説明した。

長野県内では、登山仲間たちが、磯川さんにあてて、お見舞いの寄せ書きを集め始めていた。しかし、周囲の願いはかなわなかった。

長野県の白馬山案内人組合長、降籏義道さん(63)はつぶやいた。「本人が力を入れていた山スキーで亡くなるなんて残念の一言です」

立山町の室堂平周辺で先月30日、6人が雪崩に巻き込まれた事故で、意識不明の重体となっていた長野県小谷村千国甲、会社員磯川暁(あき)さん(33)が2日午前、富山市内の病院で息を引き取った。

救出直後は心肺停止状態で、一時は死亡情報も流れたが、病院側の懸命の手当てで蘇生(そせい)。家族や同僚らが回復を祈ったが、願いは届かなかった。

山岳遭難の救助員でもあった磯川さんは、山を人一倍愛していたという。今回の雪崩事故で死者は、武田悠(ひろし)さん(32)(東京都世田谷区玉川)に続いて2人目となった。

(読売新聞)