佐藤正純さん96年2月25日、北海道ニセコスキー場。スキーツアーも最終日の3日目でした。初挑戦のスノーボードにも慣れ、横浜市立大病院の脳外科医、佐藤正純さん(当時37歳)は「スキー並みの速さで滑ってやろう」。

しかし、大転倒し後頭部を強打しました。近くの病院から自衛隊機で札幌医大に転送され、血腫を取る手術と脳の温度を下げる治療を受けました。ツアーに参加していた同僚が佐藤さんの妻に電話しました。「非常に厳しい状態です。私たちがみとって差し上げます」

一命は取り留めたものの、こん睡状態が続きます。数週間後、佐藤さんの持つポケットベルに看護師が目をつけ、一計を講じました。耳元で鳴らしてみたのです。そして「佐藤先生! 急患ですよ」。佐藤さんは目を開け、何か話したそうな口の動きをしました。
意識は回復しましたが、1年が何日かも、太陽がどの方向から上がるのかもわかりません。5月に勤務先の横浜市立大に転院。脳挫傷により、視覚、歩行に加え、記憶や言語、判断などの高次脳機能にも障がいが生じていました。

ある日、ジャズバンド仲間が病室にキーボードを持参しました。ベッドに置いてみたら、何もかも忘れたはずの佐藤さんがお気に入りの「インナ・センチメンタル・ムード」を自然と弾き始め、仲間を驚かせました。

リハビリセンターを経て、翌97年8月に退院。自宅近くのリハビリ外来へ行くと、「これ以上、何をお望みですか」。腹が立ちましたが、前向きにとらえました。「やれるものならやってみろ」という挑戦状を突きつけられたのだ、と。

情報入手が壁になりました。録音テープ図書を聞いても、すべて忘れてしまいます。窮地を救ったのは、パソコン画面の文字を読み上げてくれるソフトです。ネットからの情報入手やメール交換ができるようになりました。つえをついて歩行訓練し、音楽療法を兼ねてジャズの練習にも通いました。

パソコン操作自体にも苦労しました。「きのうと比べて少しでも進歩していたら、よくやったとほめよう」。差がなければ、先週ときょうを比べて、先月と比べて、昨年と比べて。こうして将来への期待を自身に持たせました。

国際医療福祉大学大学院のゲスト講演02年4月、転機が訪れます。医療福祉専門学校から講師の依頼があり、医学史と臨床医学基礎を教えることになりました。90分間初講義すると、へとへとになりましたが、念願の社会復帰です。「こんな人生あってもいいなあ」。障がいを受け入れた瞬間でした。

「乗り越えられると神様から与えられた試練」。欧米で障がい者はChallenged(挑戦するよう神から運命づけられた人)と呼ばれます。「障がい前と後の人生、どちらも楽しい。一粒で二度おいしい人生です」

佐藤さんは現在52歳。東京都大田区在住です。老人ホームの医療相談員や筑波大付属視覚特別支援学校の非常勤講師などを務めています。今月20日、ユーモアを交えてリハビリ体験を高知市内で講演しました。訪れた約120人は大きな勇気をいただきました。最後には「インナ……」など2曲の軽快なピアノ演奏を披露しました。

今後挑戦したいことをメールで尋ねました。「講演会の場所を全国に広げたい。リハビリ体験記とリハビリ哲学を1冊の本にまとめたい」。全国に勇気の輪を広げていきます。
(毎日新聞)