今冬も近畿日本ツーリストではスキー・スノーボードツアーを用意している(同社提供)■手軽なレジャーツアーが普及に一役

「スキー場に行きたいけど車は持っていないし、場所も遠い」

そんなスキーの“弱点”を克服し、門戸を広げるのに貢献してきたスキーツアー。その登場は戦後間もない時期だった。ミズノは1954年、同社の東京支店から草津温泉スキー場までスキーヤーを運ぶツアーを始めている。

やがて日本が豊かになり、スキーも一般に浸透。旅行会社によるツアーも増えていく。1967年、日本交通公社(現JTB)は「エック」という商品名で蔵王・天元台スキー場を訪れるツアーを商品化。列車を使って日帰りもしくは1〜2泊で手軽にスキーを楽しめるものだった。

近畿日本ツーリストも1973年に名古屋近鉄バス(現名阪近鉄バス)とバス利用による信州方面へのツアーを発売した。当時は売れるかどうか確信が持てず、共同で企画したのもリスク回避のためだったようだ。だがそうした心配は杞憂(きゆう)だったようで、翌年には単独企画に乗り出している。

その近ツーは1988年6月にスキーを中心にスポーツ関連の旅行商品を企画する子会社を設立した。スキー場を舞台にした恋を描いた映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットしてスキーブームを巻き起こしたのがその前年。設立は時代の流れに沿ったものだった。
JR東日本のスキーキャンペーン「JRSKISKI」。新幹線を利用したスキーを提案し、普及に一役買った(同社提供)同社によると、1988〜95年には首都圏だけで、1日40〜50台のバスがスキー場に向け出発。バスが当日まで確保できないこともあった。宿も同じで、強力なコネを持つ大手旅行会社でも確保は至難の業。

人気の高い志賀高原スキー場へのツアーでは、客を周辺スキー場近くのホテルに宿泊させてシャトルバスで運ぶという、苦肉の策をとったことも。

そんなスキー人気も1990年代後半に入るとレジャーの多様化や景気低迷を背景に下火となる。「レジャー白書」によると、1993年には1900万人近くいたスキー人口は、2007年には560万人と急減している。ただ厳しい状況はツアー内容に新たな変化をもたらしている。

近ツーによるルスツリゾートスキー場へのプランは、2月上旬のハイシーズンにもかかわらず、同社がスキー場を丸ごと借り切っているため、家族で訪れてゆったり滑れるのが魅力だ。

減り続けていたスキー人口も、2008年には690万人と前年を上回るなど、増加に転じている。自家用車を使わないスキーツアーは環境にもやさしい。「スローライフ」の浸透と合わせ、再注目されていい時期に来ている。
(MSN産経ニュース)



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