テオドール・フォン・レルヒが伝えた1本の杖で滑るスキー術を実践する女性(野沢温泉提供)■日本スキーの祖「レルヒ少佐」が指導

「メテレスキー(スキーを履け)!」

日本のスキーはこの一言から始まった。

ノルウェーで生まれた近代スキーは、19世紀後半から普及し始めた。1888年には、同国の極地探険家で科学者のフリチョフ・ナンセンがスキーを使ってグリーンランドを横断する偉業を成し遂げ、スキーの存在を世に知らしめた。

日本とスキーの“出会い”は、それから間もないことだった。

1895年には陸軍の松川敏胤大尉(後に大将)がスキー板を日本に持ち帰ったとされ、1902年に約200人が凍死する大惨事となった「八甲田山雪中行軍遭難事件」が起きると、数年後にノルウェー国王から明治天皇にスキー板が贈られた。

ほかにもこのころ日本に滞在した外国人がスキーを楽しんだとの記録もある。
オーストリアのスキー講師、ハンネス・シュナイダーによる指導風景。「アルペンスキーの父」として知られ、1930年に来日すると各地で指導を行った(野沢温泉提供)スキーの黎明期を語る上で最も欠かせない人物がいる。オーストリア=ハンガリー帝国の軍人だったテオドール・オードラー・フォン・レルヒ少佐(後に少将)だ。

レルヒ少佐は日露戦争に勝利した日本陸軍の軍事力を視察するため、交換将校として1910年に来日。新潟県高田町(現上越市)の第13師団に着任した。同少佐は近代スキーの父といわれるマチアス・ツダルスキーに当時最先端のスキー術を学んだ過去があり、山岳地帯の行軍にスキーを活用したいと考えた陸軍が指導を依頼したようだ。レルヒ少佐は13師団の兵に日本初の本格的な実技指導を行い、さらには周辺住民にも教えた。

「メテレスキー」はスキーを学ぶために選抜された兵を前に、レルヒ少佐が初めて発した言葉だった。

実は陸軍側では虚勢を張り、前もって兵たちに滑り方を自己流で練習させていた。だがレルヒ少佐がこの言葉を発すると誰も従えなかったという。実際はスキーを履こうにも履き方すらわからなかったのだ。

レルヒ少佐とその弟子たちは郵便局員などの地元住民から将校婦人まで指導し、その技術は周辺地域に広がっていくことになる。

ハンネス・シュナイダーが持参し愛用したスキー(野沢温泉提供)そのレルヒ少佐が初めて指導したのが、今から約100年前の1911年の1月12日。多くの文献はこの日をもって日本スキーの発祥としている。

レルヒ少佐は1年後に高田を離れた後、北海道旭川市の第7師団でも指導にあたった。合計の滞日期間は2年にすぎなかったが、その後のスキー文化の興隆を考えれば果たした役割の大きさは計り知れない。日本スキー界にとって、まさに恩人といえる存在だ。
(MSN産経ニュース)



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