スノーボード男子ハーフパイプで8位の国母=サイプレスマウンテンで2010年2月17日、須賀川理撮影バンクーバー入りした際の公式服装の乱れや、その後の会見での振る舞いに対する批判が相次いだ国母和宏。予選で高得点を挙げて決勝に進んだものの、決勝では8位でメダルに手が届かなかった。

国母にとって、今回の騒動によるダメージは大きかった。日本オリンピック委員会(JOC)や全日本スキー連盟(SAJ)には批判的な電話やメールが相次ぎ、一時はSAJが日本選手団の橋本聖子団長(45)=参院議員、日本スケート連盟会長=に出場辞退を申し入れたほど。橋本団長の判断で辞退は免れたが、国母は開会式への出席を自粛、橋本団長と謝罪会見を開くなど対応に追われた。東海大では試合当日に日本で予定していた応援会も取りやめた。

国母は北海道石狩市出身。5歳の時にスキー場でスノーボーダーを見て、「かっこいい」と家族に用具をねだったのが、競技を始めたきっかけだったという。中学2年でワールドカップ札幌大会4位に入り、登別大谷高(北海道登別市)に入学後は、海外転戦を繰り返した。

高校のスノーボード部で指導した宮武和弘監督(54)は「遠征で登校しないことも多かったが、来られるときはいつも学校に来ていた。課題もしっかり出していた」と振り返る。今でも大会などで顔を合わせるたびに、あいさつに来るという。大学ではスキー部監督でもある相原博之准教授(48)のゼミに所属するが、相原さんも「リポートなど毎回ちゃんと出してくる」と話す。

国母は北米で人気の総合競技大会「Xゲーム」など、賞金大会を主戦場とするスノーボードのプロ選手。賞金面などを考えれば「選手団としての規律」まで求められる五輪にこだわる必要はない。事実、五輪への思いを問われるたび「何も考えてない。いくつかある大会のうちの一つ」と繰り返している。

しかし国母は、12日に橋本団長と面談した際、「選手として熱い思いを持って、この大会に臨んできた」と話したという。橋本団長は国母の印象を「口下手で、うまく思いを伝えられないタイプ」と表現する。

17歳で代表入りした06年トリノ大会では予選落ちし、人知れず悔し涙を流した。17日は予選から高得点を出して、準決勝を経ずに決勝進出。五輪への「熱い思い」をダイナミックな演技に込めたが表彰台には届かなかった。
(毎日新聞)