無事救助され会見する左から金藤宗晃さん、端橋伸一さん、松原靖男さん=5日午後2時35分、広島市中区の広島市民病院「雪山をなめていた」「甘かった」−。広島県・恐羅漢(おそらかん)スキー場周辺で遭難し、救出されたスノーボーダー7人は5日午後、手当てを受けた広島市内の3病院でそれぞれ記者会見した。軽装備のまま雪山を登り、立ち入り禁止区域に入り込んだことなどを説明したうえで、「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。わずかな食料と、雪を溶かした水で飢えと乾きをしのいだ3日間を再現する。

■2月3日昼
この日午前からスノーボードを楽しんでいた常連客5人に午後1時半ごろになって金藤宗晃さん(33)らスキー場臨時従業員2人が合流し恐羅漢山山頂でスノーボードを開始。晴れていたために立ち入り禁止区域を通って滑った。だが、思ったほど積雪がなかったことから、雪のある斜面を探してコースを変えるうちに、道に迷ったという。

県立広島病院で会見した服部繁範さん(40)らは当時を振り返り「慣れたコースだったので食料もほとんど持たず地図もなかった。雪山をなめていた。気が緩んでいた」と反省した。

■3日夜
午後4時ごろになると天候が悪化。そのうち日が暮れ、林の中をさまよっているうちに廃屋の山小屋をたまたま見つけ、日が暮れてからの下山は危険と考え避難した。周囲を移動して携帯電話の電波が届くところを探したが見つからず、結局、小屋に引き返した。

割れたガラス窓は畳や毛布でふさぎ残った毛布やポリ袋にくるまった。廃材や畳を燃やして暖を取ったという。食料はメンバーが持っていたわずかな飴(あめ)と、1箱の栄養補助食だけ。7人で分け合って食べ、コンロで雪を溶かし、お湯を飲んで飢えをしのいだ。「みんなで帰ろう」と励まし合ったという。

■4日
朝、自分たちを捜索するヘリコプターの音が聞こえた。山小屋の外で畳を燃やすなどして存在を知らせようとしたが、荒天で視界が悪いためか、気づかれなかった。中村信之さん(30)は「ヘリの音が励ましになった」というが、やはり不安だ。再び、2人が携帯電話がつながる場所を探したが、積雪がひどく引き返し、交代で火の番をしながら眠った。

服部さんは「明日も天気が悪くなって、動けないままだと体力もなくなるところだった。不安だった」。

■5日
遭難後、初めて空が晴れ渡る。「いましかない」と午前8時ごろに下山を開始。「自分のペースでいこう。絶対に生きて帰ろう」と声をかけ合って出発した。スノーボードをはいた2人が先に降り、後から来る5人に道をつくった。

カーブの向こうから消防団員と自衛隊員の姿が見えた。その瞬間を、青木貴彦さん(34)は「安心して、腰がくだけそうになった」と振り返る。

自衛隊の車両で林道を下るうちに、それまで圏外になっていた青木さんの携帯電話に、続々とメールが入った。安否を気遣い、励ます約30通もの友人たちからのメールを見て、思わず涙がこぼれたという。
(産経新聞)